巷房, 東京
19.04.18
‘白’い記憶
繁華な銀座通り。「奥野ビル」(川元良一設計1932)はその裏通りの一角で昭和の香りを伝えている。このビルに入るのは久しぶり。刻んできた時の記憶がビルのあちこちに埋もれている。
若い女性がひとり、カメラを抱え、ビルの階段、布目のタイルで覆われた柱や壁を写していた。
傍らをすり抜け、静かに階段をのぼっていく。
案内をいただいた展覧会場は3階と地下。
まず3階をみる。
白いペンキで統一された室内をぐるりと見渡す。入り口近くには床に船のスクリューを模した作品。低い木製の台にはセラミックの船が一艙。奥に鉄製の円環におかれた円盤状の作品。これもセラミック製。大きな作品はこれら3点。ふたつの窓辺には小型の船状の作品が置かれている。水を騒がせ、波を起こし、風が吹きわたり、船が滑走する海の上の記憶のインスタレーションか。タイトルは付されていない。
そのうちの1点、木製の台に置かれた船。船の先端、そして船尾は流れるような鋭角である。
日の光を受け、すべるように海面を移動している。船上のさまざまな突起物は過去の出来事。
それらの出来事は同時に奥の円盤状の平面に断続されながら併置されている。過去に生起したいくつかの出来事。それを表わすには可塑性に富むセラミックがふさわしい。痛みをともなうような出来事も、時の癒しに委ねるかのようにセラミックを白い化粧土が覆う。記憶のなかで幾重にも重ねられたイメージは白い空間に浮遊する。儀礼に用いられる場合は措くとして、 ‘白’は日本人が最も好む色だという。 ‘白’は、表現を抑え、出来事の起伏を鎮めさせようとする媒材でもある。そこに生起した幾多の出来事を暗示させつつも、 ‘白’は出来事の発生を予告し、終結をほのめかせもする。化粧土の‘白’はそういう色なのだ。その始原の状態に想いをめぐらすための水。海、そして水を介した記憶。
この空間は作者の過ごしてきた記憶の原風景なのだ。
地階に降りていく。
深海に浮遊するかのような空間が展示室、ドアの奥にひろがる。 テグスで結ばれた無数の小石が天井からランダムに下げられる。ここは深海。それは宙づりされた記憶という意識の深い底。そこには静謐な時が流れていた。過去の出来事を暗示させて浮遊する小石。室の中のライトに照らされた小石が白く空中に浮遊していた。記憶のうちのある出来事に焦点をあてられたかのように。さまざまな出来事を覆い ‘白’という記憶を携えたイメージがそこに生まれていた。
しばらく私はそこに立ちつくしていた。
この世には決して声高に主張しているわけではないさまざまなものが確かに存在している。
ひとつひとつの出来事が、さまざまなイメージを携えながら、ひっそりと息づいている。
私たちは支えているものをさがしてしばしばさまよいもする。 そして気付く。ひっそりと息づいている小さなひとつひとつの出来事が私たちをささえているものだと。意識の底に深く沈潜し、記憶となって埋もれているもの。始原を暗示し、たたえた水に、‘白’はその存在を知らせる媒材として、ある。
「記憶それ自体が芸術であり、多様な芸術全てを統合したものである。古代ギリシア神話は、記憶の女神ムネモシュネをミューズの女神たちの母としたとき、ある意味でこのことをはっきり見抜いていたのである」とイタリアの哲学者アントニオ・ルッシは語る。
記憶、それは過去のある一点の痕跡ではない。それは、つねに湧き出るものであり、想起される時点で新たに再構成されるような性質のものである。それはまた、現在を語り、未来へ投影し移行していくものでもある。
象山隆利は多様な芸術の源である記憶を視覚にのぼらせるすべについて思考をめぐらしている。熟慮されたその手法はわたしたちに記憶のありように気付かせ、そのかたちをそっと教えてくれている。それは、象山自身のものでありながら、私たちが探し求めてきたものでもあるのだ。
洗われたような思いでビルの外に出た。
冬の夕刻、あたりはもう暗かった。
伊豆井秀一(元埼玉県立近代美術館主席学芸主幹)
巷房, 東京
19.04.18
夜光虫の光る海
月のない夜、波は静かで、水は重くゆったりとうねり、沖の漁り火がちらちらと海面に反射する。昼間の気だるい喧噪とは打って変わって、夜の海は緊張感に満ち、静かに近寄りがたく真っ黒い水を満々とたたえている。拒絶されるのか受け入れられるのか判断のつかぬまま意を決してゆっくりと海の中へ入ってゆく。生ぬるい海水が身体にまとわりつく。刹那、海全体が一つの生き物のような気がして、飲み込まれはしないかという恐怖で身体を硬くする。
おそるおそる静かに手で水をかくと、手の動きに合わせて無数に夜光虫がきらめく。時間が止まり言葉を失う。静かに足を浮かせ泳ぐと自分の周りに光の波紋が広がり、水をすくうと、手の中で光る。まるで宇宙空間に投げ出されて星々と戯れているよう。ここは天の川か天国かと思う。
この星に産まれてきて良かったという感情がこみ上げてきて、いまここに生きていることの、とてつもない奇跡を思わずにいられない。
奇跡はどこにでもある。生きていることそのものが奇跡なのだ。
作品を作るようになって30年以上経つが、最近になってようやく自然に作品ができるようになってきた。自分はなぜ作品を作るのだろうという哲学的な問いが、ずいぶん昔にはあったが、今はもうない。すでに考えることをやめてしまった。
朝の透明な空気に響き渡る鳥やひぐらしの鳴き声、田圃にたたずむ白鷺の姿、窓をたたく風の音、通り雨、この世界はとても美しく、見ているだけで心が透きとおってゆく。
言葉や理論にはもう興味が無い。ただただ美しいものを作りたいと願っている。
2015年8月 象山隆利
巷房, 東京
19.04.12
2013年の年の瀬、銀座一丁目駅10番出口から路地を折れたところに建つ長い歳月を感じさせるビルの玄関越しに薄暗い建物のなかを覗き込むと、ふいに古い記憶が脳の奥から迫り上がってくる気配を感じた。
展示室のドアから溢れる明りを頼りに、白く眩しい室内に入る。
部屋の中央に縦横三列、九体の金属製の角柱が陣取っている。それらが何であるかを見極める間も無く、目の前の壁を円形に飾る、発掘された人工物の化石のような七つの白い謎の物体に気を取られる。先ほどの九体の金属の影を振り返ると、現れた対面の壁には、記憶を元に再現された古い巨大建造物のスケールモデルのような、やはり白い物体が五つ、横一文字に飾られていた。呪術的な魔法陣のなかに、予期せず足を踏み入れてしまったような気分になる。廊下に面した壁には、金属の細長い板に真鍮の把手のついた道具のような物の磨きこまれた新鮮な表面が、光を反射しながら水平を保っている。何に使われていた物だろう。青銅だろうか、九体の角柱の台座を改めて振り返ると、上にはそれぞれ九つの荒削りな羅針が微かに揺れている。指先でひとつ動かすと、それに共鳴して周囲の羅針が動いた。何かの仕掛けだろうか。
伝説の超古代文明の名残のような立体物に囲まれながら、意識がトリップをはじめた。アトランティスが実在したとするならば、そのリアルな記録がこの部屋なのかもしれない。そんな考えが頭をよぎった瞬間、無音だった部屋が、古代の文明社会の活気と叡智とを想起させるざわめきに包まれた。壁のセラミックのオブジェの表面は微細な情報に覆われている。物質とは記憶装置なのだとトリップした意識の声が聞こえる。流出するアノニマスな記憶の渦に飲み込まれそうになりながら、そういえば、案内によれば地下室にも展示は続いていた筈だと、意識が引き戻された。このような文明の時代にも居合わせたことがある、……そんな気がする。イデアの続きを目指し、階段を駆け下りる。
地上階より一層薄暗い地下室に降りると、ソリッドな光と影の空間がガラス張りの扉の向こうに見える。直径1cmほどの鉄の棒が数十本、微妙な角度で影響し合いながら、床から天井へ貫いて群立しており、隠された光源が放射状の影を発生させている。ミニマルで冷やかな張り詰めた空間だが、竹林のように有機的でもある。なかに立つと先ほどまでのストーリーがリセットされ、静寂が一気に押し寄せてくるようで目眩がした。
線を避けて室外に目を向けると、階段下のデッドスペースの、傾斜のある天井から裸電球の小さな丸い光が、低く吊り下げられている。その下にぼんやりと……棺か?
黒い棺のような箱状の物体に近付いて見ると、細かな凹凸のある粘土板が、パズルのように組み合わされ、蓋をしている。直線的な断面の組み合わさった線が縦横に影を走らせており、人為的に境界線を設けられた広大な陸地のジオラマのようでもある。土と水と火により生まれたジオラマが上空の太陽の光を受けて影を生むと、精密な立体地図が立ち現れ、巨大な屍を収める棺は地層の下へと消滅していった。表面にあるのは丘であり、水の通った谷であり、風の均した平野である。わずかに点在する人工的な隆起や、地上絵のような陥没を目で追って繋いでゆくと、道なき土地に道が生まれ、気がつけば意識は遥か上空から世界を一望していた。超古代文明の記録かと思われた一連の展示物は、私達の営みの途絶えた未来の風景のようでもあった。
象山隆利氏によって再現された世界の、周到に用意されたパースペクティブに尺度と時間とを操られながら、文明もしくは人の営みのライフサイクルの有限性と、それを易々と飲み込んでなお揺るぎない調和を保つ神秘的宇宙とのコントラストに圧倒された。捉えがたい「美」の正体をさりげなく示されたような気がした。生命は人間の形を借り、この世界に一時亡命し、短い時を過ごした後、また調和へと帰ってゆく。この世界は巨大な棺であり、あらゆる物は遺物なのではないか。象山氏の繰り広げる多様な人工的静物の世界から、ホワイトノイズの残響のような生命反応を感知。
田内万里夫(画家/出版エージェント)
淡路町画廊, 東京
19.04.12
見るとはいったいどういうことなのだろうか? 多くの幻想、多くの信念、多くの記憶、知識、経験から自由になって ただ見るということが可能だろうか?
象山隆利
例えば、道で偶然、知人に出会った時、相手とのコミュニケーションはその相手に関する記憶をベースに始まります。もしも記憶が曖昧ならば、相手が何処の誰かも気づかないまま通り過ぎてしまうかもしれません。私達は普段、あたりまえの事として、特に意識しないまま、記憶に頼って生活しています。その一方で、私たちは現在の相手が持っている「空気」を敏感に感じ取ります。 「お久し振りです。お元気でしたか」と話しかけながら、「どこか、やわらかくなったな」 とか、「なんだか、やつれたな」などと察しています。それは、第六感、あるいは動物的な直感なのかもしれません。また、その時の自分の意識状態によっても、相手に対する反応が変わります。気分が良い時と悪い時では、会話の仕方もおのずと異なるでしょう。つまり、自分が相手に与える印象も、相手を見る自分の目も、その時々で変化している訳です。
ある側面から見ると、私達は記憶や感情、気分といった二重、三重のフィルターを通して、外界と接触しているとも考えられます。これらのフィルターは俗にアイデンティティと呼ばれるような、「自分」という存在を形成するパーツとして常に機能しており、私達を個性化してゆく大きな要因となっていますが、反面、外界に接触する際、ダイレクト感を損なう可能性も内包しています。この事だけが原因ではないでしょうが、例えば、テレビを見るような感覚で現実を受け取ってしまったり、他者とのコミュニケーションにおいて、お互いに相手のフィルターを理解出来ずに衝突するケースもあると思います。複雑で移ろいやすいコミュニケーションの下、自分で設定したアイデンティティに逆に縛られてしまい、本当の自分を見失ってしまったり、外界と自分とのバランスが取れなくなったりするのです。
象山さんの故郷は海に面した小さな都市、静岡県沼津市のはずれにあります。実家からは数秒歩けば海岸に出られます。漁業が盛んで、ひものを干している風景なども見られますし、振り向くと、すぐそこに小さな山が並んでいる様な環境です。と言うと、さぞかし自然に恵まれている土地なのだろうと御想像なされるでしょうが、実際には、逆方向に少し歩けば、細い上に交通量の多い、少しばかり息苦しい道路に突き当たります。その道路を富士山の方角へ向かってゆくと、少しずつ背の高いビルが増え始め、沼津駅周辺にたどり着きます。
彼の作品に見られる船のフォルムや水に対するこだわり、自然指向と都市感覚の共存、そして人為的な作業と偶然性、あるいは非現実性と現実世界とのバランスの取り方は、少年期を過ごした、こうした環境下で育っていったものなのではないか、と推測できます。「粘土を高温で焼きしめることにより、自分の意志では制御できない独特の素材感を作品に獲得させる」という彼の手法自体、自分自身をこの世界の中でリアルに存在させる為の、具現化されたバランス感覚なのだと思います。その手法により生み出された作品は、ある種の厳しさと広い許容力が同居しており、表現として自分を押しつけてくる代わりに、クリアーな意識を鑑賞者に求めてきます。
それは、ひっそりとした山奥に、一人たたずんでいるような印象です。見晴らしのよい高台からは空と山しか見えません。やがて、遠くの山へゆるやかに日が沈んでゆき、少しずつ周囲の景色がかすんでゆきます。そして、心細さや恐怖感を通り越し、記憶や感情といった自分を形成していたアイデンティティが薄れ、周囲の情景と自分との間に介在していたフィルターが氷解してゆく時・・・ あたりからは物音一つ聞こえてきません。にもかかわらず、そこには「静寂」という名の純粋な音楽が存在しています。私は象山さんの作品からそのような音楽を聴いているのです。
沢田守秀(ミュージシャン)
Moris Gallery
19.04.10
Moris Gallery
19.04.10
反射率 / Albedo
19.04.09
静浦中学校開校50周年記念,静岡県
Shizuura Junior High School 50th Anniversary,Shizuoka
2021年12月13日(月)〜12月25日(土)個展「光の記憶」
19.04.05
12:00〜19:00(最終日17:00 期間中無休)
巷房
(巷房1,巷房2,階段下)
〒104-0061 東京都中央区銀座1-9-8 奥野ビル
Okuno Build., 1-9-8 Ginza Chuo-ku Tokyo, 104-0061 Japan
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19.04.04