巷房, 東京

2013年12月16日 - 27日

2013年の年の瀬、銀座一丁目駅10番出口から路地を折れたところに建つ長い歳月を感じさせるビルの玄関越しに薄暗い建物のなかを覗き込むと、ふいに古い記憶が脳の奥から迫り上がってくる気配を感じた。

展示室のドアから溢れる明りを頼りに、白く眩しい室内に入る。

部屋の中央に縦横三列、九体の金属製の角柱が陣取っている。それらが何であるかを見極める間も無く、目の前の壁を円形に飾る、発掘された人工物の化石のような七つの白い謎の物体に気を取られる。先ほどの九体の金属の影を振り返ると、現れた対面の壁には、記憶を元に再現された古い巨大建造物のスケールモデルのような、やはり白い物体が五つ、横一文字に飾られていた。呪術的な魔法陣のなかに、予期せず足を踏み入れてしまったような気分になる。廊下に面した壁には、金属の細長い板に真鍮の把手のついた道具のような物の磨きこまれた新鮮な表面が、光を反射しながら水平を保っている。何に使われていた物だろう。青銅だろうか、九体の角柱の台座を改めて振り返ると、上にはそれぞれ九つの荒削りな羅針が微かに揺れている。指先でひとつ動かすと、それに共鳴して周囲の羅針が動いた。何かの仕掛けだろうか。

伝説の超古代文明の名残のような立体物に囲まれながら、意識がトリップをはじめた。アトランティスが実在したとするならば、そのリアルな記録がこの部屋なのかもしれない。そんな考えが頭をよぎった瞬間、無音だった部屋が、古代の文明社会の活気と叡智とを想起させるざわめきに包まれた。壁のセラミックのオブジェの表面は微細な情報に覆われている。物質とは記憶装置なのだとトリップした意識の声が聞こえる。流出するアノニマスな記憶の渦に飲み込まれそうになりながら、そういえば、案内によれば地下室にも展示は続いていた筈だと、意識が引き戻された。このような文明の時代にも居合わせたことがある、……そんな気がする。イデアの続きを目指し、階段を駆け下りる。

地上階より一層薄暗い地下室に降りると、ソリッドな光と影の空間がガラス張りの扉の向こうに見える。直径1cmほどの鉄の棒が数十本、微妙な角度で影響し合いながら、床から天井へ貫いて群立しており、隠された光源が放射状の影を発生させている。ミニマルで冷やかな張り詰めた空間だが、竹林のように有機的でもある。なかに立つと先ほどまでのストーリーがリセットされ、静寂が一気に押し寄せてくるようで目眩がした。

線を避けて室外に目を向けると、階段下のデッドスペースの、傾斜のある天井から裸電球の小さな丸い光が、低く吊り下げられている。その下にぼんやりと……棺か?

黒い棺のような箱状の物体に近付いて見ると、細かな凹凸のある粘土板が、パズルのように組み合わされ、蓋をしている。直線的な断面の組み合わさった線が縦横に影を走らせており、人為的に境界線を設けられた広大な陸地のジオラマのようでもある。土と水と火により生まれたジオラマが上空の太陽の光を受けて影を生むと、精密な立体地図が立ち現れ、巨大な屍を収める棺は地層の下へと消滅していった。表面にあるのは丘であり、水の通った谷であり、風の均した平野である。わずかに点在する人工的な隆起や、地上絵のような陥没を目で追って繋いでゆくと、道なき土地に道が生まれ、気がつけば意識は遥か上空から世界を一望していた。超古代文明の記録かと思われた一連の展示物は、私達の営みの途絶えた未来の風景のようでもあった。

象山隆利氏によって再現された世界の、周到に用意されたパースペクティブに尺度と時間とを操られながら、文明もしくは人の営みのライフサイクルの有限性と、それを易々と飲み込んでなお揺るぎない調和を保つ神秘的宇宙とのコントラストに圧倒された。捉えがたい「美」の正体をさりげなく示されたような気がした。生命は人間の形を借り、この世界に一時亡命し、短い時を過ごした後、また調和へと帰ってゆく。この世界は巨大な棺であり、あらゆる物は遺物なのではないか。象山氏の繰り広げる多様な人工的静物の世界から、ホワイトノイズの残響のような生命反応を感知。

田内万里夫(画家/出版エージェント)

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